小説 《都下恋物語》  -ワイエス①-

九月の中旬の土曜日。午後六時からチェーン店である国立のハンバーガー屋でアルバイトをしている舞子は、午後八時にバイトを終えると、ユニホーム姿でハンバーガー・セットを購入して、従業員専用の休憩室に向かうのでした。休憩室で舞子は、夕食代わりのバーガー・セットを食するのでした。この店で二日に一度の割でバイトをしている舞子には、仕事を終えた直後に(店員からお客になるのが、言い知れぬ喜びを感じる)ので、バイトに当たる日の夕食はバーカー・セットであった。バーガー店で夕食を済ませた舞子は、バイト先から歩いて五分ほどの国立駅に向かった。舞子は国分寺に戻るために駅のプラットホームで電車を待っていると、数分後に高尾発の快速電車が入ってきた。ドアが開くと降りる客を待って乗車した舞子は、窓際のシート席に座るや、頭の中に次の課題作品が浮かび上がって来て(アパートに帰ったら、取り掛からなくてはいけないな)と思ったのだが、直ぐに(明日は、日曜日だよね)と気楽な思いに包まれて、(寄り道しても、いいよね)と思うのでした。
国分寺駅に着いた舞子は、南口の改札を出ると駅の前にある書店に向かっていた。書店の正面に立った舞子は、入口の側に立つ灯りの点った看板を見つめただけで店には入らず、ロータリーをぐるりとして回って南口に戻り、アパートの方向に続く坂道を下って行った。舞子は書店の入口で、〈美術洋書〉と書かれた立て看板を思い出して、(あの店に、寄ってみよう)と思ったのでした。
駅前から続く坂を下って国分寺街道と交わる信号機のある地点に来た舞子は、横断歩道を渡ると右に折れて府中市方面に向かって歩き出した。舞子は歩く先には、街道に沿って商店が十軒ほど在るのだが、午後の九時をまわって、酒店を除いて他の店はシャッターが下りていた。国分寺街道には外路灯がないため看板灯の消えた商店の軒先は暗く、舞子は看板灯が点り一際明るく照らし出された立て看板のある店を目指した。舞子は灯の点る酒店の前を通り過ぎて灯が消えている写真店の前を過ぎて、その隣の空き地の横で立ち止まってから、〈美術洋書〉と書かれた立て看板のある店の前に立った。
立て看板のある洋書店は、五メートルほどの間口で、正面の壁は緑色、舞子から向かって右手の小窓のある入口のドアは白色、左手のドアと同じ位の大きさの一枚ガラスのショー・ウィンドーの周りの縁は白色であった。ショー・ウィンドーの斜め前に、ウィンドーの白い縁を際立たせるように、赤色のバイクが停められていた。舞子は(店構えが、ブティックのようである)と思いながら、赤いバイクに目を移して(この店の人が、乗っているのだろう)と思った。ショー・ウィンドー越しに店の中を覗いた舞子は、奥の机に座って坊主頭のバイト学生らしき男子が、横に積まれた書籍をパラピン紙でカバーしているのを見えた。舞子は(買うつもりでないので、冷やかしになるのでは・・・)と思って、ドアとウィンドーとの五十センチ程の緑色の壁の間に姿を隠して、入店することに躊躇いながら立っていた。
舞子はウィンドー越しに少しだけ顔を出して店の中を覗くと、左側の壁全体が備えつけの本棚になっていて、棚の中は背表紙を見せて美術洋書が収まっているのが見えた。舞子は姿勢を変えて入口のドアの小窓越しに中を覗くと、右側の壁が目に入って、その壁の三分の二程が木目調の板が貼られていて、その板には動物の形をした大小のラックが取り付けられていた。舞子は目を凝らすと、それぞれの動物の形のラックにはラックと同サイズの美術洋書が選ばれて、表紙を見せるようにして入れられているのを見えた。板壁の中ほどにアンドリュー・ワイエスの代表作が表紙になった画集を目にした舞子は、(大好きなアメリカの画家である、ワイエスの作品集を見たい)との思いに抱かれて、入口のドアを開けることに抵抗がなくなった。
舞子が木製の白いドアを開けて軽自動車が一台停められる程の店内に入ると、奥で机に向かってリストらしき物を作っていた坊主頭の店員が「いらっしゃいませ」と来店の挨拶をした。舞子は「見せてもらいます」と声を掛けて、店員の方を見ないで板壁の中ほどに歩み寄った。キリンの形をしたラックに入ったワイエスの画集を前にして、舞子はその画集をすぐには手に取らなかった。壁に掛けられた動物の形をしたラックを眺めながら舞子は、(声からすれば、あの店員は自分より三か四つぐらい年上かな)と思った。

小説 《都下恋物語》  -シネプレックス立川③-

学食で昼食を終えた舞子は、図書館には戻らずに大学の門を出ると、鷹の台駅に向かってゆっくりと歩き出した。駅前まで続く商店街を歩いている時に、舞子は(アルバイトしている国立のハンバーガーショップの、今日の勤務が午後三時からであること)を思い出して、(アルバイトには充分の間があるので、一度アパートに帰って、それから国立に行こう)と決めたのでした。
国分寺のアパートに戻った舞子は、夏の日差しに汗をかいたので、シャワーを浴びて下着を替えた。扇風機を回しソファに寄りかかった舞子は、何気に目にした壁にピンでとめたニューヨーク・シティのポストカードを見て、新宿の書店で購入したのを思い出し、その日の帰りの電車で見た〈美術洋書〉と書かれた立て看板を思い出した。ソファに寄り掛かりながら、舞子は(立て看板に美術洋書と書かれた本屋さんに、行ってみよう)と思った。ソファから立ち上がると舞子は、身支度をして扇風機を止めると室の外に出た。
小高い丘の上に建つアパートの前の道を、舞子はゆっくりと下りながら交差点まで歩いて来た。小金井から東経大の横を通り国分寺駅前を通って国立に抜ける道路と、小平から府中に通じる国分寺街道とが交わる信号機のある交差点を、舞子は駅前に続く上がり坂の方には進まずに、街道を府中の方に折れて道路に沿うように歩き出した。交差点を左折した舞子の先には、先頭に米屋さんがあり、次に不動産屋さん、その次に水道工事屋さん、酒屋さん、お茶屋さん、・・・、後尾に写真屋さんがあった。五十メートルほどの間に十軒ほどの商店が軒を並べていた。
舞子は写真屋さんを通り過ぎると(新宿の帰りの電車の中から見えた、〈美術洋書〉と書かれた立て看板があったのは、この辺りではなかったかな)と思った。写真屋さんの隣に家が一軒建つほどの空き地があり、その地を挟むように、奥行きのある二階建てが在った。舞子は、〈美術洋書〉と書かれた立て看板を見つけることが出来なかったが、二階建ての正面を見上げると中ほどに、道路に出っ張るように備えた二本の看板灯を目にして、(確か、 ここだよね)と思った。舞子は、目の前の二階のある建物を観察して見た。一階の道路に面した部分だけが店舗になっていて、奥は倉庫の様に舞子には見えた。舞子は建物の脇に階段を見つけて、(二階は全部が、アパートになっている)と思った。舞子は目を凝らして、一階と二階の中程の壁を見た。中程の壁には、両側を看板灯に挟まれるよう格好で、緑色の縁の縦が一メートル横が二メートルほどの木の看板が取り付けられていて、白が下地の中央に橙色で〈アートブックス〉と英文字で大きく描かれていた。緑色の縁の看板の下に、一階と隔てるように小さな段差があり、店舗用のシャッターが下りているのを目にした。舞子は、閉まっているシャッターの手掛けの部分の上あたりに、店名、電話番号、営業時間、定休日が書かれている、赤いゴシック体の文字を見つめながら、(営業時間が、午後四時から午後十時なのは・・・)と不思議に思った。洋書屋さんの在る場所を確かめた舞子は、駅前に通じる交差点へ戻る道すがら、(どんな人が、営んでいるだろう)と思うのでした。

小説 《都下恋物語》  -シネプレックス立川②-

次の週の金曜日に、舞子は弾む心を抑えるようにして、待ち合わせした場所に向かって歩いていた。舞子が待ち合わせした所は、大学から歩いて十分ほどの青空駐車場でした。待ち合わせの青空駐車場は、大学構内では学生の車が駐車禁止のために、都内から車で通ってくる石黒先輩が、月極めで借りている駐車場であった。舞子は駐車場に向かいながら、誘いの言葉を掛けられた時のことを思い出していた。ドライブに誘われて気持ちが舞い上がってしまった舞子は、映画「タイタニック」について石黒先輩が話していたことなど上の空であったが、思い出すにつれて、変だなと思うようになっていた。石黒先輩が笑いながら「タイタニックの主役のブラット・ピットが好きで、・・・・・・」と言ってことや、「立川で唯一の映画館で、タイタニックを上映している」と話していたことなどが・・・。はっきりと思い出した舞子は、(タイタニックは、レオナルド・ディカプリオが主役なのに、・・・・・・)と言いきかせたり、(立川の映画館は〈シネプレックス立川〉と名を変え、七月末にオープンのため今は改装中なのに・・・・・・)と首を傾げたりした。ドライブ・コースについても、(説明に、ちぐはぐな処がある)と思った。
舞子は胸の内にもやもやするものを感じながら、車の正面ななめ後ろに立った。セリカのフロント・ガラスを拭いていた石黒先輩が、手を止めてガラスに映った舞子を見た。ミニスカート姿の舞子は、卑猥な目で眺めてニヤリとした先輩を、見逃さなかった。布地を手にしながら振り向いた石黒先輩に、はっきりと意図が見えた舞子は「せっかく誘っていただいたのに、行けなくなりました。」と告げた。先輩は落ち着いた声で「どうゆうこと、・・・」と訊いたが、顔は強張っていた。舞子は咄嗟に「一週間前に提出した課題作品を、明日までに手直しして、再提出しなければならなくなりました」と応えて、「携帯で伝えようかと思いましたが、大学からあまり離れていませんでしたから、直接にお伝えしようとここに来ました。」と応えた。石黒先輩は「仕方ないな」と言ったが、舞子のミニスカート姿を見ての諦めきれない顔であった。舞子はお辞儀をすると、ゆっくりとした足取りで車から離れていった。石黒先輩がチェッと舌打ちしたのを、舞子は背後で聴いた。
セリカから離れつつ舞子は、男の人に用心深くなったのは、(童顔な男性に惚れやすい、三つ上の姉の件があってから・・・)と思った。舞子の姉の姫子は、地元の短大を卒業したが就職先が決まらずに、就活をしながらチェーン店のドラック・ストアーでアルバイトをしていた。バイト先の店長さんは、いろいろと姉に気をかけてくれた。姉も独身で童顔の店長さんに好意を持っていたので・・・・・・。やがて店長さんと親密な関係になった。半年ほどして姉の方から結婚の話を切り出すと、店長は(既に、結婚していること)を告白した。年上の奥さんで二人の子供がいることや、店長の年は姉に話した年よりも十も上であったことなどを・・・。この件があってから姉の姫子は、機会あることに舞子に「子供っぽい顔の人には、不信感を抱いてしまう」と警戒心を込めて言っていた。姉の言葉を思い出す度に、舞子は(童顔な人には、用心しなくては・・・)と思うようになったのでした。