小説 《都下恋物語》  -ワイエス③-

舞子から年齢や大学での専攻する学科を選んだ理由などを聞いた店員は、「僕は、今年で二十九になります」と年齢を言って、「この店を始めて三年になりますが、その前は三十種ほどの職を転々としました。職に就いた期間は、長い時でも半年で短い時には一週間ほどでした。半日の時も・・・、その日は昼食に『外で、食べてきます』と言って、そのまま勤め先に帰らなかったこともありました」と申し訳なさそうに話して、「二十五種目に就いたのが美術に関する職でしたが、その職場では二年間も働くことが出来ました。今までに一番長く続いた職場を辞める時に、(美術に関する本屋を、営んだら大丈夫だな)と思ったのです。それで、次からは美術本屋を開業につなげるための転職になり、現在に至ります」と誇らしげな顔をして語ったのでした。
話しを聞き終えた舞子は、子供っぽい顔に戻っていた店員をまじまじと見つめながら、職を転々としたことよりも、自分よりも九つも年上であることに驚きを感じていた。バイトの高校生ぐらいに思っていた坊主頭の店員が二十九歳と判って、舞子は確かめるように「この店の、ご主人ですか?」と訊ねた。坊主頭はますます照れ子供っぽい顔になって、「店主です」と答えて「店主ですが、一人でやってるので店員でもありますから、訊ねられない場合は〈店長〉で通しています」と応えた。
坊主頭の店長を前にして、「私は、軽部舞子と申します。失礼な言葉使いや態度をしたかもしれません。てっきり年下と思っていたので、・・・・・・」と、詫びるように言った。坊主頭の店長は「大丈夫ですよ」と笑顔で言い、「僕は小松川宏といいます。年下に見られることに慣れっ子になっていますから・・・・・・」と応えて、天井を見上げるようにして「半年ほど前に、エゴン・シーレのヌードを集めた画集を道路から表紙が見えるようにショー・ウィンドーに飾った日のことです。閉店近くに入ってきた五十過ぎのサラリーマン風の酔った客が『ウィンドーに出ているヌードの洋書が有るんだから、あっちの雑誌もあるだろう』と言って詰め寄って来たのです。私が困惑気味に、『そのような雑誌は、扱っていません』と断ると、酔った客は『坊主には用はない。店主はいないのか・・・』と小僧呼ばわりされました」と苦笑交じりに話された。
舞子は、実際の年齢より下に見られ小僧扱いされた小松川店長のお話を聞いて、笑うにも笑えなかった。むしろ、年相応に見られずに年上に見られる舞子は、店長とは逆の立場で(似た様なこと)を、胸の内で感じていた。笑っているような悲しいような顔をされている小松川に向かって、舞子は唐突に「私、店長さんとは反対に、周りの人から年上に見られることが多いです。アルバイト先でも大学でも、・・・・・・」と言い、「同じ年の人が傍らに居ても、最初に声が掛かるのが、私なんです。この前のサークルの集いでは、私が進行を任されて、年上の先輩を指揮したんです」と「私には、解らないわ」と言う顔で話した。

小説 《都下恋物語》  -ワイエス②-

舞子は板壁の全体を見回してから、机に向かって手作業をしている年上の店員の方に向いて、「この画集、手にしていいですか?」と訊ねた。顔を上げて舞子の方に向いた店員は、軽く笑いながら「どうぞ、ご自由にご覧ください」と答えた。店員の言葉に、舞子は微笑んだのだが何処かぎこちない笑いになっていた。童顔な店員であったので、舞子の心は穏やかではなくなった。ワイエスの画集をひらきながら、舞子の頭の中では(応える口調はしっかりしているが、自分より二つ三つ年下の、高校生のアルバイトかもしれない)と、思ったりした。坊主頭の高校生バイトが顔を上げてはチラリチラリとこちらを見ているのを、舞子は左目の端で感じていた。画集のページをめくりながら頭の中は別のことを考えていることに後ろめたさを感じながら舞子は、先ほど「どうぞ、ご自由に・・・」と言われたのを思いながら、少し腹が立っていた。
軽自動車一台ほどの店内は、お客と店員が気軽に話せる広さであった。舞子はワイエスの画集を見終えるとキリンのラックに戻して、その下のゾウのラックに入ったワイエスのデッサン集を手にしようとしたら、高校生らしきバイト店員が、「ワイエスが、お好きみたいですね」と言って話しかけてきた。話し掛けてきたバイト店員の方を向いて舞子は、「三つ上の姉が美術の好きで、特にアンドリュー・ワイエスが好きだったの。姉の影響を受けて、私もワイエスが好きになったのね」と友達と話す口調で語った。舞子に応じるように子供っぽい顔の店員は、「僕がワイエスを知ることになったのは、中学生の時に、美術の先生が『ワイエスが好きになると、美術にかかわる仕事に就きたくなる』と、しきりに言っていたので・・・、そのような気持ちにさせるワイエスとは、どんな・・・・・・と興味を持って、図書館でワイエスの画集を借りたことが切っ掛けでした」と語ったのでした。  
舞子は奥の方を向きながら、表情豊かに話す店員の顔がますます子供っぽくなるのを見ていたら、気持ちが柔らかくなって(自分のことを、話してもいいな)と思ったのでした。
舞子は大人顔をして年上であることを強調するように、「私は二十なんです。美大の短期学部デザイン科の二年で、学校は隣の小平市にあるんです。受験の時に、美術科かデザイン科のどちらかに迷ったのね。アンドリュー・ワイエスが好きだったから当初は美術科を・・・と考えたのだけど、美術は趣味でデザインは職業と考えて、デザイン科を選んだんですよ」と満足げに話した。