小説 《都下恋物語》  -小金井美術研究所④-

満足げな顔で笑っている舞子に、(以前より、美大の図書館が所有している蔵書を見たい)と思っていた小松川は、(この子に、案内をたのもう)と思って、話しかけようとした。その時に入口のドアが開いて、大きなキャンバスを抱えた二人の制服姿の女子高生が店の中に入ってきた。舞子はウィンドー近くの本棚に移動して、棚の中段に並んでいるデザイン集に手を伸ばしていた。女子高生たちはキャンバスを板壁の下に立てかけると、長い髪の女子高生は目の前の動物のラックに目をやり、短い髪の女子高生は店内をぐるりと見回してからラックに目をやった。二人は、表紙を見せて展示されている画集ではなく、それらが入っているラック類に関心を示した。ロングヘアの女子が、目の前のラックを見つめて「これは、キリンの形をしているよ」と言った。傍らのショートヘアの女子が「ライオンの形をしたのも、あるよ」と応えてから、その他のラックを見回して「ゾウもいるよ、カモシカも、カバも・・・」と次々と言っていった。ショートヘア子の口にした動物の名前につられて、ロングヘアの子が他のラックを見回して、それから「このお店のラック、動物の形をしていて面白いね」と弾んだ声で言った。ライオンのラックを見つめながら、短髪の子が同意するように頷いた。
長い髪の女子高生が目の前の画集の収まったキリンのラックに手を伸ばし、太いハリガネで作られたラックの曲線を撫ぜながら、「四本の足で、画集の下の部分を支えるようになっていて、上手にできているね。自分のお部屋に・・・」と言い、短い髪の女子高生も目の前のライオンの背を撫ぜながら、「このラック、手作りみたいだし、今までに見たことがなかったし、どこで売っているのかな・・・」と欲しそうに言って、二人は顔を見合わせた。先に、長い髪の女子が「欲しいな、このゾウさん」と言い、奥で机に向かっている小松川店長の方を向いて、「これって、どうすれば、手に入るんですが?」と訊いたのでした。 
軽自動車が一台入るぐらいの店内なので二人の会話も耳に入っていた小松川店長は、訊ねられた女子高生の方に向いて、「さきほどお友達が言ったように全部が手作りで、これらのラックは売り物として作られたものではないので、手に入れるの・・・・・・」と困り顔で応え、「この店を開いた時に、開店して暫らくして来店されたお客さんが、『既成品ではつまらないから、僕が作ってあげるよ』と言って帰られ、これらの動物の形をしたラックを、一か月後にお持ちになったのです」と応えた。ロングヘアの子が目の前のラックを見つめながら「これは、売り物ではないんですね」とあきらめ顔で言い、ショートヘアの子が「素敵なラックなのに・・・」と残念そうに言った。

小説 《都下恋物語》  -小金井美術研究所③-

店長の小松川は頷くと、天井を見るようにしてから話し出した。「年は僕より、五つ上です。弁護士を目指して、大学卒業後は司法試験に挑戦していました。しかし、三度失敗してしまい、その時点で実家からの仕送りがカットされてそうです。当初から、長野で法律事務所を開いている父親から、司法試験に三度落ちた時点で仕送りはしないと言い渡されていたので、知人は仕方ないと思ったようです。知り合いは、父親が試験に受かり弁護士として自分の事務所で働いている長男に比べて、期待されていないことが判っていたので・・・・・・。知人を弁護士にさせたかったのは、父親の世間への体裁のためで、自分を思ってのことでないことは、うすうす分かっていたようです。知り合いはその後、アルバイトをしながら、弁護士を目指すことになったんです。マンションから引っ越されたアパートの近くのコンビニエンス・ストアーで、昼間にバイトをしながらの司法試験の合格を目指したのです。この知人が気持ちに大きな変化があったのは、四度目の司法試験に失敗をした時のことだそうです。試験に落ちた翌日に知人は、バイト先のコンビニで発注業務をしながら今まで以上に仕事が楽しいと思って、(商売が自分には、向いているかも知れない)と思ったとのことです。次の年も知人は、受験勉強しながらコンビニで週に七日間のバイトをしていたのです。コンビニエンス・ストアーで、長くても一年短い人では半月ほどのバイト店員の寿命に、一年以上もそれも週七も・・・、経営者には喉から手が出るほど欲しかった人材だったそうです。その後に知人は、昼間の店長を任されることになったそうです」と語って、天井を見上げるような仕草をした。
再び知り合いのことを話し始めた小松川店長は「知人は、数か月後に五度目の司法試験を迎えて、思うように進まぬ受験勉強の憂さを晴らすために、愛車のナナハン・オートバを走らせて甲州街道を相模湖に向かってそうです。ナナハンの後ろには、恋人を乗せて走らせたそうです。しかし、知人は目的地に向かって走らせていたが八王子の街を抜けたところで、目の前を走っていた大型トラックが急に左折しため、知り合いは避けきれなくてバイクと共に転倒したそうです。バイクから転げるようにして投げだされて、僅かに気を失った知人は気が戻ると、倒れたバイクを見たそうです。後ろの恋人の動きはあったが、倒れたオートバイに左足が挟まれて動けなかったようです。知人は体に傷みがあったが立ち上がれたので彼女の傍らにより、倒れているオートバイを持ち上げたそうです。彼女の焼け焦げたジーンズの間から黒く焼けただれた太ももが見えて、辺りには皮膚を焦がす臭いがが立ち込めていそうです。恋人の左足の太ももは、オートバイが転倒した際に数百度の熱さになったマフラーの下に挟まれていたので・・・・・・。その時の火傷によって彼女は、足を引きずるようになったとのことです。オートバイで彼女を普通に歩けないようにさせてしまった知人は、弁護士の道をやめて、商売の道に進むことに決めて、以前よりオーナーから誘われていたお話を受理することで正式にコンビエンス・ストアーに勤めて、やがて店長として働きだしたとのことです。普通に歩けなくさせた恋人は、コンビニエンス・ストアーのオーナーさん一人娘なのですが、知人は彼女と結婚されて、二年前にストアーのオーナーである父親が病気で他界したのを機に、実質的なオーナーになったのです」と語って、店長の知り合いの話を終えた。
小松川店長の話を真剣な眼差しで聞いていた舞子は、話が終わると安心したように大きく息を吐いてから、「店長さんのお知り合いは、責任を取って娘さんと一緒になり、その店を引き継いだのですね」と応えるように言った。しかし、舞子の言葉に反論するように小松川店長が「知り合いの話を聞く限りでは、それは違うのではないかなと思う。知人は、好きになった人がバイトをしているコンビニエンス・ストアーのオーナーの娘さんであり、その女性に司法試験に受かったら結婚を申し込むつもりでいたと言っていましたから・・・・・・、それなので、普通に歩けなくさせたことへの責任を取ってではなかったと思っています。オートバイでの件があってから、今まで以上に「愛しさが募っていった」と言っていっていました。むしろ、この件で、彼女が自分を憎んでいるのではないかと思ったそうです。知人が司法試験を受けるのをやめたのは、自分が目指すのは弁護士への道ではないと分かったからです。実家からの仕送りが止まり、コンビニエンス・ストアーでアルバイトしたことで、自分が進むべきは商売への道であると分かったからです。弁護士を目指したのは父親のためであり、自分のためではないことを自らが働くことで知ったのだと話していました。だから、知り合いは、責任を取って、コンビニエンス・ストアーのオーナーになったのでないと、僕は信じています」と答えた。
店長の言われた言葉にうなずいた舞子は、「店長さんのお知り合いは、最高の人ですね」と言い、「旅館の店主になる西沢先輩も、最高の人であると信じています」と言ったのでした。舞子の言った言葉に、小松川は嬉しそうな顔で頷いた。舞子は店長の顔を見ながら、「ふつうに歩けなくさせた人を憎むこともせずに、・・・・・・」と言い、「いいお話を、聞くことが出来ました」と言った。舞子の口から出た最初の言葉に、店長の小松川は(女性の微妙な心理)を垣間見たような気がした。

小説 《都下恋物語》  -小金井美術研究所②-

時々ふたりの様子を見ていた小松川店長が、男の姿がショー・ウィンドー越に見える道路から見えなくなると、何もなかったように本棚から美術書を抜いてぱらぱらとめくって戻している舞子に向かって、「彼氏、帰ってしまいましたよ」と心配そうに言った。小松川店長に「彼氏、・・・・・・」と言われた舞子は、棚の上段に伸びていた右手を顔の前まで下して“違います、違います”と手振りをして、「一緒に来た方は、大学のサークルの先輩です。油絵学科の四年生で、西沢真人さんと言います。残念ながら、彼氏ではないですよ」と応えた。
レジのある机に向かって座っている店長の小松川は見上げるようにして、「軽部さんが、西沢先輩に接し方が、まるで恋人のように感じられたから・・・・・・」と言うと、舞子は嬉しそうに笑みしながら「先輩が、あの表紙のエゴン・シーレの画集を、都心の洋書店をまわって探しているのを知っていましたし、なかなか見つけられないでいるのも知っていました。先月に来店した時に、本棚かエゴン・シーレ画集を手にした時に、西沢先輩から探している画集の表紙さえも知らされていなかったのに、(これは、先輩が探しても見つからない、シーレの画集である)と直感したのです。早めに確かめてもらいたかったので、サークルの集まりが今日に国分寺駅近くであったのをチャンスと思い、集まりが終わるや、デートの約束のある先輩を強引に引っ張って、お店にお連れした次第です」と語った。
店に連れてきた経緯を聞いた小松川は、(見た目はおっとりしているようで、意外に強引なところのある女性だな)と思いながら、「当店に先輩をお連れいただき、ありがとうございます」と礼を言い、にっこりする舞子に「西沢さんには、好感を持ちました。年は二十二、三ぐらいと思いまずが、長身でイケメンなのに少しもおごらずに、僕に接してくれましたので、・・・。それに、画集を何冊も買っていただいたからと言うわけではありませんが、学業に熱心な青年だなと思いました」と感じたままを話した。
小松川店長が西沢先輩に好意的であるのが分かった舞子は、より先輩のことを知ってもらいたくて「西沢先輩は、来年の秋に結婚するんですよ」と話した。舞子から先ほどの青年が結婚する話をきいて、小松川はびっくりしたのだが、(あの青年は、年の割にはしっかりしているから、だいじょうぶだな)と思うと、平穏な気持ちになった。穏やかな表情の店長を見ながら舞子は、「相手は、旅館の若女将さんなんです」と言って、「室内装飾に関する会社でアルバイトをしていた西沢先輩が、高尾にある旅館の改装の仕事をした際に、そこの一人娘である杉江涼子さんに好意を持ったそうです。二年前に母親から引き継いで、涼子さんが従業員を含めて七人で切り盛りする旅館の若女将になった頃のことだそうです。その後に父親のいない涼子さんと交際が始まったとのことです。来年の卒業後に大学院を決めていたそうですが、あえて進学せずに、五つ年上の涼子さんが女将をする旅館のご主人になることを決めたとのことです」と清々しい顔で話したのでした。
好青年の恋路を聞いた小松川が、「先輩は変わっていますね。美術大学を出て、旅館の主人になることが、・・・・・・」と微笑みながら言うと、舞子は真顔で「一つのことをやりだすと周りが見えない先輩ですが、勇気のある人だと思います」と応えて、「尊敬できる人です」ときっぱりと応えた。小松川は、先輩を尊敬する舞子を微笑ましく思いながら、ある知人を思い浮かべた。レジのある机越しに小松川が、「僕の知り合いに、先輩と似た様な人がいるよ」と話すと、机の方に向いて舞子が、「先輩に似ている人が・・・」と応えてから、「どんな人ですか」と訊いて来た。小松川が、「大学の法学部を出て、コンビニエンス・ストアーのオーナーになった人で・・・」と話すと、舞子は目を輝かせながら「そのような人が・・・」と言って、「 ぜひ、その方のお話を聞きたいです」と言った。